「神の民の信仰と祝福の継承(前編)」 教会標語①         

「神の民の信仰と祝福の継承(前編)」          
    2018年2月
教会標語①
創世記 12章1-4節
牧師 松元 潤

福岡での礼拝のご奉仕の後、九州地方在住の北海道聖書学院の卒業生たちを慰問し、宣教困難の地方で働く多くの兄姉に励まされる旅を体験しました。その旅の最後に、私は自分の父の出身地である鹿児島に足を伸ばし、自分の信仰のルーツがどこからもたらされているかを考えながら札幌への帰路につきました。日本が中国の満州を占領していた時代、父はかつてスピードスケートの選手でした。その頃同じスピードスケートの選手であった韓国人の方が後に牧師となられたことで、信仰へと導かれました。それが、私の家族の信仰の起点です。現在の日本では、多くのクリスチャンホームが存在します。しかし、クリスチャンホームもまた、その始まりは一人の人の信仰によってです。今家族の中で自分一人だけがクリスチャンである場合は、そこに理解してもらえない様々な困難があるかもしれません。しかし、それは神様があなたを選び、あなたから神の祝福が広がっていくことをも意味しているのです。今年一年、神がアブラハムという一人の人を選び契約を結ばれた出来事からどのように信仰と祝福が継承されていったのかを学びながら、一人一人が神から受けているものを周囲に分け与えていく歩みについて考えていきたいと思います。

Ⅰ.第1に、信仰の継承と祝福は、最初はあなたという一人の人から始まることを覚えなければなりません。
12章1節に「主はアブラムに言われた」と記されていますが、アブラムの生まれ故郷はウルです。父テラを始め親族一同が住む地域でした。テラはそこからカナンに向けて移り住もうとするのですが、途中の町ハランに住み着きます。その理由はわかりませんが、ヨシュア記によれば「アブラハムの父でありナホルの父であるテラは昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた」とありますから、一族においてアブラハムから真の神との関係が始まったことがわかります。アブラハムへの神のことばが、アブラハムの子孫、のちの世代、民族全体の人生を方向転換させる重要なものとなったことは間違いありません。父テラを家長とするアブラム家族はハランに住
み着いたにもかかわらず、主は「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい」と言われました。「行きなさい」は強い命令で、神がアブラムに対してあなたを選んだという意志を現しています。ネへミヤ記では、「あなたはアブラムを選んでカルデア人のウルから連れ出し」と、神のアブラハムに対する選びを明確に証言されています。新約聖書の使徒の働きの中でも、ステパノのメッセージの中にアブラハムに対する神のことばが語られています。アブラムは、父テラが生きて家長としての権限を持ちハランにおける一族の生活が始まっている中で主に命じられました。アブラムはまさに、一族の祝福の基・初穂として選ばれたのです。
 神がアブラムが出発する前に語りかけた大事なメッセージは「あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて」ということでした。土地・親族・父の家という3つもの事柄をしつこく並べているのは、「離れる」ことを強調しているからです。神に従う、ということは、今の私たちのままで従うことはできません。従うことは、罪との決別、古い価値観に基づく生活との決別、「離れる」ことから始まるからです。新しい出発において、今までのものにしがみつかないで手放すすなわち「離れる」ことは、神が私たちの人生において最優先であるという告白でもあるのです。アブラムは父との関係が悪かったわけでも、家庭環境に特に問題があったわけでもありません。ですから、今の状況に不満だから別の道を選ぶということでもないのです。アブラム自身にとって青天の霹靂であったかもしれない神の命令に従うのは、大きな勇気を必要としたでしょう。しかし、アブラムは神のことばに従って新しい出発をしたのでした。神のことばに従うことは、ときに勇気を必要とします。でも祝福の広がりは、そこで神に応答し、神のことばに従って行動することから始まるのです。

Ⅱ.第2に、私たちは信仰と祝福の継承者として、神を第一として歩む限り、私たちの人生は神の祝福に満ちたものであるという希望を確信して歩まなければなりません。
 神はアブラムに対し「わたしが示す地へ行きなさい」と命令なさった直後に「そうすれば・・・」と、与えられる祝福についてお語りになりました。アブラムが受けるとされた祝福は、「大いなる国民とすること、あなたを祝福とすること、あなたの名を大いなるものとすること、あなたを祝福する者を祝福すること、あなたを呪う者を呪うこと、地のすべての部族はあなたによって祝福されること」です。最初の出発は孤独であるかもしれません。しかし、神のことばに聞き従う者に対して神は溢れるばかりの祝福を約束なさっていることを知っていなければなりません。

ⅰ)一つには、神のことばに従うその人の人生そのものを祝福なさる、ということです。
主に応答した者は、その人の人生全体が祝福されるのです。信仰はあなたの人生の宝です。すべてのものを造った方は、ご自分のお造りになったものを愛しておられます。そして、その被造物が神の祝福を受けることを願っておられるのです。私たちは自分の人生が大いに祝福されることを信じて、神のことばに聞き従う歩みをしたいものです。

ⅱ)二つ目には、その人の人間関係が祝福される、ということです。
アブラムに好意を持って親切にする者は、その人もアブラムと同じ神の祝福を受けるのです。アブラムを冷たくあしらい敵対する者には、神もその人を同じように扱われるのです。もちろん、エレミヤのように神のみこころに従うゆえの孤独な戦いを通されることもあります。また、誰かの悪意や罪によって攻撃されることもあるでしょう。しかし、神の祝福と呪いは、神に従う者に対する態度に比例して、周囲の人々に及ぶというのが神の約束なのです。
 アブラハムというユダヤ民族の祝福の基となった一人の信仰者の人生には、多くの失敗や過ちがあります。にもかかわらず、神はアブラハムの人生、そして人間関係を祝福されました。アブラハムの神に対する信仰のゆえであり、何より、神がそのことを約束しておられたからです。神に従う信仰によって、私たちも神の祝福を受け継ぎ、神の祝福を他者にもたらす者となろうではありませんか。